2012/05/28

匕首

B棟のバラシが進んだ。天井をはがすと煤だらけのこんな空間が現われた。武川の大工すずきは「博打部屋だよ」と言う。いわば隠し部屋。「昔、農村には娯楽がなかったからね、田畑はもちろん米の入った蔵まで賭けたらしいよ」と。
そして長押のなかからこんなものが出てきた。その形、発見された場所からして護身用の匕首だろうか。工作用のナイフとは思えない。生々しいこの家の歴史を感じる。
ところで、バラシはここまで進んだ。
将来の庭から見るとこんな具合。
いよいよ「スケルトン」となってしまった。さ~てここでこの家の将来について決断をせねばならない。すずきは云う「一旦、解体して組み立て直した方が早いんじゃないか」と。実はこの家の構造が想像以下だったのである。私も同感なのだが、もしかするとその判断は泥沼への第1歩かもしれないと思うのである。あるいはもうすでに腰の辺りまで泥に浸かっていて今更オタオタしてもしょうがないのかもしれないが、、、

2012/05/21

いよいよB棟

新緑の季節も終盤。うらの生垣前に可憐なマーガレットらしき花が群生していた。この日、今年初めて雑草刈りに刈り払い機が出動したがここだけは見逃してあげよう。
C棟屋根の防水紙を貼り終えてほっとしたのも束の間、B棟の工事が始まった。左C棟(ガレージ棟)、右B棟(母屋)。築90年、アルミサッシなど長い年月の間に付加された要素を取り除くたび本来の魅力が蘇っていく。このままでいいじゃないかと言う声をよそに、和瓦を下ろしシャープなガルバの瓦棒葺き屋根に葺き換える。大正モダンが平成モダンに生まれ変わる筈、、である、、、
この縁側は軒下空間となり、彫りの深いファサードとなる、はず、、
大黒柱をはじめすべての柱は自然石の上に乗っているだけ。わずかな壁にも筋交いなどは入っていない、胴差でもっている。つまり伝統工法である。これで昨年3月の地震を含め90年間堪えてきた。ぎしぎしと揺れ摩擦で地震エネルギーを吸収するのであろう。
床梁を支える自然石、しっかりしているようだが、そうでもないようで。
B、C棟の奥で「私も忘れないで」とD棟(土蔵)が云っているような。どうやら当分は退屈しそうにない。

2012/05/15

進行中、少しずつ

C棟全景、結構大きい。野地板の施工完了。この後、防水紙を貼り終えたので多少の雨が降っても大丈夫。手前の裸地は将来庭になる。屋根越し右端の木が大銀杏。
中は白木の架構と垂木のリズム。どことなく「和」の感じ。
ここで屋根の防水紙を必要な長さに切断している。今の季節陽が射すと外は真夏の様にじりじりとするが、ここは風が通り快適。適度に汗をかいてはお茶を飲む、これがいい。
前の週、山梨の先輩ごうさんが手伝いに来てくれた。写真がないがYoshidaさんやアベちゃんも心配して覗きに来てくれる。まことに心強い。
夕暮れ頃ベンチ脇のランタンに火を灯す。ランタンの1面を透明ガラスから型ガラスにした。これで発光面が拡がり遠くからも認識できるようになった。
若葉背景にシーサーは相変わらず笑ってる。

2012/05/06

新緑の頃

この連休は天気の乱高下が激しい。その合間の5月4日、真夏の陽射し。雨の前日とは打って変わって強い陽射し、屋内との強い光のコントラスト。
雨の合間のこの日、屋根工事は進む。友人たちが心配して助けに来てくれる。お陰で48本の2`×6`の垂木を設置することが出来た。アプローチのシーサーが笑ってる。
6日午前、晴れとの予報にも拘わらず朝から雷鳴がとどろいた。前日に友人たちの助けで野地板を屋根に持ち上げ、半数ほどはビス留めし、この日はルーフィングを張る予定でいた。ところが所謂荒天、仕事が出来ない。それでも夕刻は雨後の晴天、そうなるとさすがに5月。新緑が眩しい。まだベニヤの先端が切り揃えられていないし、壁もないがおおよその感じがつかめる。
このC棟ガレージ実は最もいい場所にある。車を置いておくにはもったいない。この季節新緑に囲まれて、お茶するのが気持ち良さそうである。
近くにはベンチもあるし、、