2012/01/30

工房

これは工房(昨年8月)、工作のためのスペースで取り得は広いこと。当初は閑散としていたのに最近はほどほどになってきた。
その一角を片付けてスペースをつくり出した。
2×4の部材で壁の下地を拵える。過去の経験が活きる、手慣れたもの。
内側はこんな具合、3m×3mの部屋を作る。この春から母屋の工事を始める。屋根瓦を下ろして傷んだ部分を直し、ガルバリウム鋼板に葺き替える。そればかりではない、北側の台所を含む奥行き1.5間×幅7間を解体撤去する。南側の縁側も柱を残して撤去する。つまり一時、屋根も壁もなくなってそこには住めなくなってしまう。ましてやその後の内装工事は「セルフビルド」、つまりいつ完成するか判らない。しばらくこの工房が住み処とし、春までに母屋からこちらに引っ越さねばならない。以前、作ったキッチンやトイレがある。これで寝室が出来れば足りないのは浴室くらい。つまり工房を当面の住居とするのである。

2012/01/18

冬の手入れ

竹戦争で出た有り余る竹の使い道の一つがこれ、薪小屋の外装の一部を竹で仕上げた。結構いい感じ。
中から見るとこんな感じ、この冬我が工房のきんにょう(薪棚の事らしい)の1/4が空き、なんだかスカスカになってしまい、落ち着かない。薪が詰っていたときは気にならなかったが、向こう側見えすぎてしまうのである。木桟の間を1本づつ竹で埋めた。
次に柿の木を剪定した。「強」剪定と云っていいだろう。この秋、下の写真のように沢山の実をつけた例の柿の木である。切り口はご覧のように保護材(と言っても木工ボンドだが)を塗ってある。まるでオブジェのようになった。きっと今年の収穫は望めないだろう。いや枯れなければそれだけで見つけものである。とにかく今年からは私好みの枝だけが生き延びられる(少し傲慢かな)。
この実りの風景も去年の秋で見納め、、、、、、

2012/01/15

屋代勝永館跡

戦国武将屋代勝永の館跡発掘調査が北杜市教育委員会の手により進められている。写真正面に土塁(一部)が見える。この現場、銀杏工房前の道に面している。
その土塁はすでに旧明野村の文化遺産に登録されている。ここには堀もあった。土塁があれば堀もある。堀を掘った時に出た土を掻上げて土塁はできあがるのである。工房は200mほど先右側。
土塁の内側はこんな具合、排水処理の水路のように見える。
様々な形の穴がある。もっとも多いのがこれ、一つ穴。多分掘っ立て柱の穴だろう。
こんな2本穴もある
少し大きくて深い穴、水が湧いている、井戸か。
屋代勝永は名門信濃源氏村上氏の出だが、武田晴信(信玄)方に寝返ることで村上氏が滅んだ後も生き延びた。信玄亡きあとは上杉方に付いて織豊時代を生き、家康が勢力を得ると徳川方について戦国を生き延びた。その後領地(ここ)を召し上げられるが、その子の時代に許され安房に1万石を賜り大名となる。子孫は徳川の世をも全うするのである。ここに館を構えていたのはそう長くない。徳川方についた初期の10数年、北の真田に対する備えのようである。大阪冬、夏の陣にはここから出陣し旗頭を務めている。今から400年以上昔の話だ。
この館址もこの少し先の縄文遺跡と同様、土地改良工事のために消えてしまうらしい。縄文遺跡発掘調査の時にも書いたが、耕作放棄地があるのになぜ遺跡を潰してまで新たな田を作らねばならないのだろう。(事情があるのだろうが)。残念ながら教育委員会の地元への現地調査報告会に参加することは出来なかった。

2012/01/13

小カウンター制作

工房で家具を作った。あり合わせの材料とあり合わせの技術で久々の家具作り。
シナベニアの白と古材(すすに燻された)黒のコントラストがいい感じ。
4つの足も古屋に転がっていた古材を正方形に切り出して使う。カウンタートップももちろん古材の活用。どうやら近代的な印象のある白くて平滑なシナ合板が鍵のようである。これがないと古材が生きてこない。これは娘夫婦へのプレゼント。彼らが藤沢に開いたダンススタジオ「ダンススペース湘南」の開設祝いだ。狭いスタジオだがカウンターが欲しいという娘の要望に応えたもの。藤沢周辺のダンスに興味のある方は「ダンススペース湘南」をよろしく(親バカかな)。

2012/01/11

午後の日差し

工房の一部に雨漏りがある。日差しが傾きかけた頃、屋根に上ってみた
太陽を背にした私の影が投影されて漏水箇所撮影の邪魔をする。そこでいっそ影を取ることにした。なんか面白い。
これは母屋方向の屋根の重なり。母屋の瓦屋根の雨漏りにもずいぶんと苦労させられたが努力の甲斐あってこちらの雨漏りは止まった。それにこの春から屋根の葺き替え工事も始まる。そこでこれからの課題は手前の工房棟の雨漏りなんだが、原因が特定できない。母屋の瓦屋根は目視で充分問題箇所を発見することができたのに、工房のスレート屋根はそれが出来ない。
そこで漏水箇所のこけやゴミを取り除き様子を見ることにしたのだが、この季節、晴天続きで雨が降らない。もちろん降れば雪になるだろう。従って雨は春先まで待たねばならない。

2012/01/05

お正月

昨年末、隣の家に子やぎがが誕生した
まるでぬいぐるみの様にかわいい。母やぎの体は小さくまるでお姉さんやぎのよう。それでもやはりお母さん、子やぎを守るように私の前に立つ。隣の柵の父やぎは乱暴者で角が痒いのか壊さんばかりの勢いで柵を突いている。こいつは可愛いくないので撮さなかった。畑を挟んだこの隣のお宅、1年前より築200年の甲州民家を活用しそば屋を始めた。息子さんが蕎麦を打つ、奥さんが料理を作って運ぶ、基本的に自家製食材を活用しているようだ。我が家ではゲストハウスの様に活用させてもらっている
今日のゲストはこの方たち。右の方Yさんは私たち明野暮らしの師匠である。妻は彼女の助言と指導により車の運転を再開し、今じゃ一人でどこにでも行けるようになった。左は妹さん、妻の同級生でもある。
ところで薪だが、ストーブは工房で利用するだけなのだが安物で燃費が悪いせいかそれとも私が寒がりのせいかやたらと消費する。お陰で薪小屋の左端の棚がすいてきた。
透けて見えすぎるようになってきたのと薪の少ないことが強調されるようになったので竹ルーバーで補強した。何しろ竹はうなるほどある。なかなかいい具合だ。
割らずにいた丸太も割って薪にする。実はこれ妻が割っており悪戦苦闘の写真があるのだが気の毒なので載せないでおこう

2012年、明けましておめでとう
(皆さんはいかにお過ごしかな)