2011/09/26

パーティ

総勢9名犬1匹、泊りがけのパーティだった。久々に会う息子とミニチュアダックスフントの朝の散歩の風景、彼はアプローチのシーサーの作者。
娘たち夫婦もやって来た。彼らはボールルームダンスのペアだ。
甥たちもやってきた。この日はサンマの塩焼きパーティ、火ふき竹に挑戦。
高齢の母も来た。実は「法事」である。姉の一周忌をごく近しい者たちを集めて行った。謂わば姉の主催したパーティ。彼女から見て母、2人の息子とその妻、弟(私)とその妻と子供たち、つまり甥、姪とその夫。翌日は裏の古民家「草至庵」でそば懐石を食べてパーティはお開き。

2011/09/21

屋敷神とはけのみち

この春イベントで神様裏の竹林内に枕木で階段を作ったがその階段を下りてはけの道へ
今日の神様
久しぶりにこの道を散歩した。このところ猛暑がぶり返していたがさすがに早朝は秋の気候だ、気持ちいい。
見上げると結構な大木があったりする。うーん森林浴だ、、、

仏石

今回の工事で新たに出て来た仏石は合計6個だが中でもこれが最も愛らしい。石の形もそうなんだが2人の人物が寄り添っているのがいい。
台風15号前のぎらつく陽光の下、完成した(してないが)今回工事の主眼、敷地内整備の全容が明らかになる。だいぶすっきりとしたがさっぱりしすぎた感もある。まあこれから附属屋(駐車場棟)を上棟させ、植栽が入ってくればきっとよくなるだろう。最もだいぶ先になるかもしれないが。仏石はこの通路の最奥部竹林手前右手にひっそりと並べられている。
今回の整備で工房と母屋まえの空間が「プチ広場」になった。さっそく来週行われるパーティの予行演習を妻と二人で行った。母屋の軒下に明かりをつけ、炉の位置を決め、ベンチを置き、テーブルをセットする。ここでサンマの炭火焼きパーティ(姉の一周忌だが)を行うのだ。

2011/09/04

台風12号の最中だけど

工房敷地の竹藪を下った先の塩川は普段は渓流釣りなどが出来る穏やかな川である。ところがこの川も今日はこんな塩梅。この週末2時間弱の道のりが5時間もかかってしまった。中央高速が台風12号による雨のため八王子以西が閉鎖されてしまったためだ。国道20号も部分的に閉鎖されており、県道や地方道を走り継いでやっとのこと山梨にたどり着いた。途中崖崩れも見たし、路面が泥川のようなところもあった。それに比べれば塩川は穏やかな方だろう。
こんな時に行かなくてもいいようなものなのだが、工事で気になってる事があった。新設の砂利敷き通路の奥の仏石の設えがどうにも気になっていた。立派すぎるのだ。
この位置に動座するに当たって、勝永寺の住職に供養してもらうなど大げさな事になったものだから、ニットノ(工事)は気を利かせ、立派な基壇を作って堂々と6つの仏石を置いた。が、立派すぎて墓場のようになってしまった。私はひっそりと、ただし心を込めて地蔵仏のように設えたかったのだ。ステージのような床からおろし写真の位置に並べることにした。その奥のコンクリの床が問題の箇所(モルタルでそれぞれの基壇部分がまだ貼り付いて残っている)。ちなみに、一晩考えて、この床もピザ釜のスペースとして活かすことにした。それを彼に伝えるため台風の中やって来た。往路の難儀に懲りて復路は大きく迂回し富士山麓から静岡県経由、東名で東京に戻ってきた。距離は伸びたが渋滞知らず(台風だから観光客も少ないか)雲間から富士を眺め、3.5時間で帰ってくることが出来た。

2011/09/02

Takedaさん

何事にせよ仲間がいることは心強いものだが、ここ山梨では近くにTakedaさんがいる。八王子の人だが、この人がすごいのは、何でも自分でやってしまう事だ。このスロープだって自分で仕上げてしまった。時には重機まで借りてきて,,
今は陶芸工房の建設に挑んでいる。基礎は彼と彼の奥さんとで敷設した。上屋はプレハブだそうだが、基礎だけでなく設備配管もすべて自前である。まさに山を開拓している風情である。この人がいるおかげで励みになる。
この日は娘さんが来ていたが、彼女も自分の親のあまりの奮闘ぶりにあきれていた。がんばれTakedaさん。



2011/09/01

夏もお仕舞い

明野の夏もお仕舞いなんだが、一夏に1回くらいはひまわりの写真をのせておかないと明野らしくない。そこでこの写真。向こうにうちのお風呂の太陽館。夏の間のこの辺、日中は観光客で混んでいるので近づかない。で、これは早朝の写真、風呂には晩に行く。もうひまわりはお仕舞いで今頃はコスモスがさいているかな。
銀杏工房では工事がゆっくりと進んでいる。納屋の解体は済んで新ガレージの基礎工事が進行中。右手前に屋敷墓が見える。この前の土曜日、勝永寺(戦国武将屋代勝永の菩提寺)の住職に来てもらい拝んでもらった。移動せねばならぬのだ。明野の入戸野(工事担当)が怖くて手が出せぬというのだ。彼も私の後ろで手を合わせていた。今は集落に共同墓地があるが維新以前はこんな風に屋敷墓に埋葬していたらしい。この土地の売り主もさすがにそれは気になったとみえ、売却前に今回と同じ勝永寺に拝んでもらっていたらしい。私はこれを粗末に扱うつもりはない。マスタープランに従い動座願うのだ。ここには屋敷神という「神」もおり、この「仏」もいる。私はなんだかうれしい。