2010/08/29

藁小屋の封印を解く


この家を購入してから建物の一部を減築してきた。主として戦後増築されたと思われる部分だ。すると、この写真のような壁が現れた。穴が開いておりその中に空間があることが分かった。地元の大工によるとこれは「藁小屋」だそうだ。その下は厩。今は天井が貼られてしまったが土間の上が吹き抜けていてそこから出入りしていたらしい。用途は稲藁の保存場所。ここから大量のわらじが出てきた。今回は鞍が2つ、大量のゴザや古畳と共に出てきた
片付けてみると結構広い。右側の木の色の新しい部分が後に土間に架けられた天井。柱梁等の煤け具合からして吹き抜けの土間や囲炉裏で火を焚いていたのだろう。この下は厩なので天井が低い。右側の土間は吹き抜けに梁が現れていたが、この部屋には障害となる小屋梁はない。
大量のゴザ等のごみに混じって発見された鞍と思われる木製の部材2組
今回は穴の1つに仮設ではあるが明り取りの窓を取り付けた。これも再利用。下窓は出入り用でいずれふさぎ、床に穴を開け室内から出入りできるようにする。
外観、さて課題はこの空間の利用法。
土壁が崩れて出来た穴が面白い、小舞竹が現れている。見るとそこらじゅうすき間だらけ、床板も天井板もそう。どうりで冬寒いわけだ。埃と共に熱も出入り自由なのだ。

2010/08/25

冬のある日・秋の大銀杏

 
北東からの施設全景
ブログ開設を知ったある友人から全容が分からないと言われた。そこで一昨年の12月、購入を検討していた頃の全景写真を載せる。生垣の向こうに見える一連の建物が物件である。全部で7棟ある。写真に納まっていないがこの右側に倉庫がもう1棟ある。背景の山々は南アルプスで甲斐駒ヶ岳は右側の林に隠れてしまっている。左端の建物が銀杏工房。

冬の八ヶ岳
銀杏工房が面する南西側隣家の田越しの八(八ヶ岳)。ここ明野は晴天率が日本一高くその特徴は冬現れる。1滴も雨が降らず空気が澄んで、したがって山がよく見える。しかし我が銀杏工房の敷地から八は見えない。古くからの屋敷地は皆、北西側の八が見えないように防風林や竹林を設けている。八からの乾いて凍てついた冬の風から家を守るためだ。我が工房もそうした竹林や林を持っている。右側の落葉後の樹形の綺麗な木が隣接林(隣家)の大銀杏である

秋の大銀杏と工房
左端が黄葉した大銀杏。写真右側の平屋の建物が銀杏工房、間の建物は隣家。母屋はその後ろに隠れて見えない。シンボルツリーの銀杏の苗はこの写真ではまだ植えられていないが工房と道路の間に植えた。もっとも、この距離だと今写しても小さすぎて写らないであろう

2010/08/22

ブリーズ&ソレイユ

母屋西面の窓にすだれをつけた

少なくとも見た目は大分涼やかになった

東面の窓にも同様に取り付けた

中から見るとこんな感じ

ブリーズ&ソレイユと言えばかっこいいが、要は暖簾にすだれ。エアコンがないのだからこれしかない。日本の家は「夏を旨とし」で行くっきゃない。

雨漏りで傷んだ畳の替わりに赤松の集成材パネルを床にした。目地は黒い古材を利用した。仕上げは柿渋
ここだけそうなっても仕方ないのだが、高気密高断熱仕様にしてみた。目地材は気密シートを固定するのに役立った

囲炉裏端はこの家の冬のダイニングスペースだが、この枠が赤松で出来ている。当初白木で真っ白だったのが柿渋のお陰で半年ほどでだいぶ赤くなった。それにしても今日も暑かった。

2010/08/10

フィオレンチーノ

このトマトフィオレンチーノという、形が面白く色がいい

作者は中央の笑顔の人物、私が遊びに行った時友人宅に現れた。この友人夫婦は私の田舎暮らしの師匠である。
かれらの家は250年前の古民家だが彼が自力再生した。しかしいわゆる古民家臭さがない。
やさしくそれでいて力強い存在感がある。

一方こちらが私の古家、最初に建てられたのは大正時代、再生の途上にある
右に見えるのが元蚕室の工房、手前の影は納屋(ガレージ)、左の下屋は蔵の一部、この他に倉庫が2棟ある

アプローチ、これが「銀杏工房」と名づけた元蚕室の工房

隣接する林の銀杏
これがわが「銀杏工房」由来の銀杏、シンボルツリーと言える様になるにはあと何年必要だろうか